彩雲斎の雑記

令和のこどおじ 人畜無害に日和ってくstyle

Coccoの魔力

 少し前の世間話ではありますが、アムロちゃんの引退表明を見た時、小生には忘れられない、もうひとりの歌姫の事を想いました。

 

 いち時代を築いたアムロちゃんは、常に若い女子たちに、憧れや影響を与え、ずっとずっと輝いていました。キュートな容姿も歌声もダンスも、非の打ち所の無い、正真正銘のアーティストでした。

 

 誤解を恐れずに言えば、それとは別次元で、どこか危うさを内包しつつ、その佇まいから歌声まで、心の秘境駅と言うか、古傷を癒やすかのようにそっと響く、奇妙な魅力を放っていたのがCoccoさんでした。

 

 またまた誤解を恐れずに言えば、まさにそれは陰と陽。今風だと、コッコはだんだんジワる。その歌声は、小生にとっては未だ普遍的に優しく強く、壮絶かつ美しい。

 

 その次元について、表現が見つからないのですが、打ちのめされた心の痛みや、淡く苦しい思い出、沖縄の海に対する郷土愛など、歌い方にも、その華奢な容姿からは、計測不可能なほど危険な振り幅があり、小生は魅了され続けている訳です。

 

 彼女について、そのプライベートは謎は多く、憶測から中傷的、様々な情報がありますが、そんなことはどうでも良く、その神秘的であるが故、今も小生にとって大切な存在である訳です。

 

 最近、シンガーとしての活動再開を耳にする事が多くなり、小生にとっても喜ばしい限りです。大袈裟かもしれませんが、彼女の歌に救われた事もあるのです。

 

 実は同い年と言うのは、ここだけの秘密ですが、同世代に、こんなにも素晴らしいアーティストが存在する事を誇らしく思う訳です。

 

 まぁ、いいから聴けよ、、、云々、他人から言われても、どこか上の空になりがち。どうしても同調を求めてしまいがちな話ではございますから、あーあれね、と軽い相槌を打ちながら、読み流す事にして下さい。

 

 しかしそんな『かけがえのない』曲は誰にでもあると思います。小生にとってCoccoはまさにそんなアイコンであり、今日も朝から彼女の歌声に癒やされる訳です。

 

 抱えきれない悲しみ、両手いっぱいの思い出、ずっと昔に嗅いだ匂いや、景色に連れ戻されつつ、そんな歌詞をなぞると、実は言葉が1番凶器になり、思わず発した言葉、苦し紛れに言われた言葉、取り返しの付かないひとことふたこと、1人悶え苦しむ訳でございます。

 

 そしてまた、

 

 そしてまた、そのいつかの場所へ、ついつい行きたくなったりする訳です。

 

 いつか、いつか、ばかりではありますが、いつか彼女の歌声を横に、ギターを弾いてみたいと思っております。

 

 そんな訳で、思い出の雪道を1枚。


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水晶とのおもひで

 小生の田舎は鉱物が豊富に採れる、稀有な地層地帯であります。そんな知る人ぞ知る土地柄であります。化石をはじめ、危険な鉱物まで。

 

 幼き頃は、山を分け入って、土と戯れ、地球に眠る素敵な天然の宝石を、日が暮れるまで探し回ったのです。

 

 時代は流れ、令和となった訳ですが、昭和が終焉し、平成になった頃には、勝手な入山など言語道断と、罰金の立て札によって、至る山々は入山者を牽制し、そうした楽しみ方も減りつつあった時代であります。

 

 春の山菜狩り、秋の味覚狩り、そうした嗜みに関するモラルの低下も著しく、まぁ当然ちゃあ当然の対策ではあります。

 

 だが小生は、晴れた休日ともなれば、スコップ片手に、公共の一般遊歩道の脇などを散策しながら、目ぼしい地層をちょっと掘ってみるだけでも、細かい水晶石が転がり出てきます。

 

 なぜに六角の見事な結晶になるのか、今の御時世グーグル先生に聞けばすぐ解ることですので、敢えて書きません。

 

 むしろ、どれくらいの年月を掛けて、これほどまでに神秘で魅力的な鉱物へ形成されて行くのか、そこに浪漫を感じる訳であります。土の中での出来事は、誰も解らないのです。むしろ解らないままでいいのです。

 

 買えば済むモノ、インターネットの普及は、検索から購入、配達まで、様々な時間を短縮し、便利で秀逸な世の中を形成致しました。しかしいつ出てくるのかわからない、そんな期待感を胸に、夢中で土と戯れる時間こそ、忘れかけていた最高に贅沢な宝なのであります。

 

 時々そんなスローライフを嗜む小生が、一心不乱に掘り当てた、生涯の宝、見事なクラスターをご拝見ください。

 


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幻の、、、道

 小生の田舎には幻の県道があります。

 

 なぜ故に幻かと言えば、霧が晴れると出現するとか、秘密の里歌で岩が割れて道が、、、的な、幻想モードでは決してありません。

 

 県道○○○号線と命名され地図にも載っていながら、途中から通行止め、何十年も未整備のまま、もはや人間を寄せ付けない、自然の猛威たるや、その浸食任せの、所謂『酷道』なのであります。

 

 キング・オブ・酷道。

 

 こんなクソ田舎の廃道に、時々全国のマニア達が密かに結集しているのであります。通行止めを無慈悲に突破する、そのアンチテーゼにアドレナリン分泌が止まらない、コアな輩が沢山存在するのも事実なのです。

 

 山歩きを趣味とする小生もまた、危険を省みる事勿れ、進んだその先には、山を分断するかの如く雄大な河川。

 

 下流のダム建設によって沈みかけてはいるものの、美しい渓谷が今も実在しているのです。

 

 この場所も言うなれば、人間の侵入を許さない閉ざされし『秘境』であります。

 

 この記事を読んで、おたかた予想が付く紳士たちは、冒険を忘れない少年の様な心の持ち主であるとお見受け致します。

 

 小生もそんな冒険心と、ただ近いと言う単純な理由で、幾度となくこの秘境へ足蹴に通っているわけです。滑落したら命は無い程ガレた箇所もあるのですが、人間を寄せ付け難い、大自然に屈服しながら、意味不明な磁場によって引き寄せられてはまた、その磁場で気分が悪くなったりもするのです。

 

 その謎めいた酷道と秘境。その昔は観光地だったようで、その面影は、途中の朽ち果てた『廃墟』以外、当時の様子を語るモノは何もありません。

 

 酷道・秘境・廃墟、、、。

 

 大三元。

 

 コアな子供おじ達にとっては、もうこの3役は、非の打ち所がないサンクチュアリに違いない。

 

 併せて、危険を顧みず・神秘の・前人未到、裏ドラ満載の馬鹿馬鹿しさをも内包し、もう行きたくて、行きたくて、全身が痒くて仕方ない愚者達が、駆け付ける場所なのです。

 

 こうして取り憑かれし者達の足跡だけが、今日も密かに増え続けている訳です。

 

 なかなか冬の季節に踏み入れる少年紳士は少ないかもしれないが、筆者のフェイバリットゾーンは、滝と言うには大袈裟ではあるが、大量に滲み出た岩清水が、見事に凍り付く、絶景スポットがある事だけ記しておきます。2月が見頃であります。

 

注:本当に危険ですので、自己責任でお願い申し上げます。


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森と磨崖仏

 小生の故郷には、2体の磨崖仏(まがいぶつ)があります。

 

解説:『磨崖仏』とは、自然の岩壁などを素材に石仏を彫刻したり、線彫りで仏画を刻み描いたりと、様々な仕様がありますが、保存状態はあくまで自然任せであり、うかつに移動もできないため、もしかしたら風化によって無念に消えてしまったものも、実は各地にあるのだろうと思います。むしろ残っている方が奇跡かもしれない、実は歴史的財産であります。

 

 某日そのうちの1体を探し、参拝して来ました。無論、そこには誰もおらず、御朱印を求めて参拝というわけではありません。

 

 山合いの小さな集落。少ない情報から目印の灯籠を抜け、徒歩でもうひとつの目印、山中の滝を目指します。

 

 小川沿いに、山を分け入って行くのですが、もはや獣道。この磨崖仏は恐らくこの小川が無ければ、人目に触れる事は無かったのかもしれません。

 

 特に滝マニアではありませんので、流れ落ちる様がうんぬん語る事はできませんが、緩やかに遡っていく川も、時々小さな落ち水としてせせらぎを聴かせ、水のキレイで、それを鑑賞しながら歩くだけでも、随分癒やされました。

 

 小川沿いに緩やかな登り道を20分程、自然の見事な造形、折り重なる岩石群の出現により、小生は行く手を阻まれてしまいました。

 

 つまりこの獣道の行き止まり。そこには見事な滝が存在しておりました。滝と言えば、崖のような箇所を垂直に流れ落ちるイメージですが、不動滝と呼ばれるこの滝は、折り重なるような大きな岩石群の急斜面を、這うように流れ落ちておりました。

 

 この滝水が一体どこから来るのかも気になる所ではありますが、その滝も含む付近の岩石群の一つに、磨崖仏があり、不動王が刻み描かれていたのです。

 

 風化も著しいのですが、視点を集中し、うっすらと岩に浮かび上がる岩壁の不動王。その見開いた眼力に、ここへ来た理由を全て見透かされたように、何故か緊張してしまいました。

 

 静かな深山に不動の滝と不動の王。信仰気高き見事なコラボレーション。時代を超えて、悟りとは?哲学、真理、、、誰が建立したのかわからない磨崖仏を前に、幾百年前、誰が辿り着き、ここでなにを見たのか。

 

 通り抜けて来た集落の安泰を、未来永劫願ったのだろうか。何か秘密の目印なのだろうか。岩壁に刻まれた不動王を前に、ついつい時間を忘れがち。

 

 無限に流れ落ちる滝水と、瞬き1つしない磨崖仏。

 

 遠くに鳥の声、僅かな獣の気配、微かな虫の足音、冷たく澄んだ空気、そびえ立つ木々の呼吸、、、厳かすぎる。突然狂って叫びたくなる、あの耐え難い衝動とはねじれの位置。もはや太刀打ちできない、息を飲む程の静寂に、小生はいつの間にか囲まれていました。

 

 外側に発散するのでは無く、静かに受け入れること。無意識に単純化されていく。無思考のまま時間だけがゆっくりと過ぎてゆく。

 

 大自然に屈服し、心に沸き上がる本当のこと。その表裏とはつまり共存。日常の煩わしさとは無縁、ここでは人間以外、全ての生き物は生き方を迷わない、大自然に抱かれ、森とまさに共存している。

 

 何かを語りかけて来る訳でもなく、小生より遥かに大きく、確かにそこに居る。この森に踏み入れた時から、小生も森に受け入れられていた様です。

 

 幾重にも折り重なった山土を踏み締めて、ここまで歩いて来る間もずっと。この森で生まれ死する。絶えること無く繰り返されるその連鎖は、豊かな土壌となり、また新たな森を造形していく。

 

 冬に枯れ落ちる事、それは決して枯渇ではない、次の輪廻へと、悟りの妙。その輪廻は、日本と言う島国の四季と同期し、時に視界を彩り、冬の終わりには、今は静かに春の芽吹きに備えている。

 

 頭と心の中間付近。その秘境から微かに聞こえるのは誰の声か。瞑想?中ずっと新鮮な酸素を呼吸し、代わりに吐き出したものが、また森によって浄化されて行く、、、ただただ心が軽く、ただただ素晴らしい。

 

 室町時代に彫られたものらしいのですが、とある修験道か、名のある仏師か、そのむやみに目に触れる事のない、山合いの里の秘宝、美しく流麗な滝を見て、瞑想の果てにその不動王を創造したのか、この森の摩訶不思議でした。

 

 風化も激しいため、今のうちに、ぜひ参拝あれ。ケモノに注意。


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