彩雲斎の雑記

令和のこどおじ 人畜無害に日和ってくstyle

アルトとAC/DC

 時々音楽ネタになります。

 

 アップダウンの激しい田舎のロード。母親に借りた軽自動車を運転していると、急な上り坂は、その非力さに、いささか気が滅入る訳でございます。

 

 エアコンなど付けようモノなら、その非力さが更にブーストされ、減速が加速する負の連鎖が巻き起こる訳でございます。

 

 そんな時こそ、もはや生ける伝説、モンスターロックバンド、AC/DCを控えめな音量で流す訳であります。

 

 軽自動車と、ロックバンド。

 

 広大な地平線に向かって、爽快に爆走するピックアップトラックでは、決してないギャップ。

 

 厄介な8ビートでございます。まるで心拍数に呼応するかのように、一貫してブレない無駄の無いドラミングが心地良き。

 

 所々、単音を織り交ぜつつ、シンプル且つワイルドなギターリフと、その隙間を軽やかにリズムキープする2本のギター。グルーヴィでラウドに、そのビートに絡みついております。

 

 まるでビートに音を置いて行くかの如く、地を這うようなベースサウンドは、曲の下手部分を見事に支えています。

 

 クセの強いボーカルは、それらのグルーヴを乗りこなし、ロックに有りがちなデス・ヴォイスらしからぬ、キャッチー&コミカルなメロディで更に曲を引き立てております。

 

 よくこれだけのメンツが集まったもんだ。

 

 と、思う訳でございます。それぞれがお互いのポテンシャルを高め合い、聴衆を無意識にテンションアップさせる中毒性。

 

 一聴しただけで解るそのインパクト。大衆を意識してかどうか、大ホールの聴衆を巻き込んで、会場全体がウネリを上げること請合い、見事なまでのロックグルーヴ。

 

 軽自動車の中で、大アリーナライブを擬体感しながら、今日も信号の全く無い田舎ロードを、むしろ安全運転に、精一杯心掛ける次第であります。

 

 アンガスはよく、牛のツノを被っているので、近所の牧場写真をパシャリ。

 


f:id:saiun_sai:20190513070241j:image

 

 

関の太郎とやら

 世にも珍しい、祀られている鬼が存在するようでございます。

 

 小生の故郷には、鬼岩と呼ばれる巨岩だらけの、奇々怪々な地域が存在いたします。

 

 地中にあったはずの溶岩が、地表に露出し、冷え固まったもの、だとかうんたら、割れたり削れたり、概ね巨大な姿カタチのまま、寄り集まっているのでございます。

 

 鬼の様な大きな岩の事かと思えば、実のところ、その由来は800年ほど前、この巨岩群が折り重なって出来た岩穴に、『関の太郎』という鬼が潜んでおり、近隣の村人や、古道を行き交う旅人を襲う厄介者がありました。

 

 関で生まれた、太郎という、何とも安易なネーミングセンスに、思わず嘲笑してしまう訳であります。

 

 しかし、いよいよ困り果てた当時の人々の中から、纐纈源吾と言う腕っぷし男が、太郎に天誅を喰らわし、討伐した逸話から名付けられた地名であります。

 

 巨岩群の隙間の一部、鬼の岩屋には、現在も関の太郎の像が祀られ、この厄介者は、時を経てなぜか、厄災除けの鬼神として崇められております。

 

 纐纈源吾にちなんだ源吾岩、太郎の首が埋められた辺りには、首洗池などと恐ろしい地名もあり、これらの逸話の信憑性を物語っております。

 

 鬼の岩屋をはじめ、折り重なる巨岩群をくぐり抜ける、『岩くぐり』は、よもやケモノでも潜んでいそうな、岩にアタマを打ちそうな、スリル満点、恐怖の大自然ダンジョンであります。

 

 しかし岩穴の中は、鍾乳石並みに涼しいので、夏場でも、上着を忘れないように、お出かけくださいませ。

 


f:id:saiun_sai:20190511201624j:image

Coccoの魔力

 もはや忘れかけている世間話ではございますが、アムロちゃんの引退表明を見た時、沖縄にはもうひとり、小生には忘れられない歌姫が存在しました。

 

 いち時代を築いたアムロちゃんは、常に若い女子たちに、憧れや影響を与え、ずっとずっと輝いていました。キュートな容姿も歌声もダンスも、非の打ち所の無い、正真正銘のアーティストでした。

 

 誤解を恐れずに言えば、それとは別次元で、どこか危うさを内包しつつ、その佇まいから歌声まで、心の秘境駅と言うか、古傷を癒やすかのようにそっと響く、奇妙な魅力を放っていたのがCoccoさんでした。

 

 またまた誤解を恐れずに言えば、まさにそれは陰と陽。

 

 今風だと、コッコだんだんジワる。その歌声は普遍的に美しく強く、且つ優しい。 

 

 その次元について、表現が見つからないのですが、老若男女、打ちのめされた心の痛みや、淡く苦しい思い出、沖縄の海に対する郷土愛など、歌い方にもその華奢な容姿から、計測不可能な危険な振り幅があり、小生は魅了され続けている訳でございます。

 

 彼女について、そのプライベートは謎は多く、憶測から様々な情報がありますが、そんなことは小生にとってどうでも良く、その神秘的な存在そのものが、今も小生にとって大切な存在である訳でございます。

 

 最近、シンガーとしての活動再開を耳にする事が多くなり、小生にとっても喜ばしい限りでごさいます。大袈裟かもしれませんが、彼女の歌に救われた事も、多々ある訳でございます。

 

 実は同い年と言うのは、ここだけの秘密ですが、同世代に、こんなにも素晴らしいアーティストが存在する事を誇らしく思う訳でございます。

 

 まぁ、いいから聴けよ、、、云々、他人から言われても、どこか上の空になりがち。どうしても同調を求めてしまいがちな話ではございますが、あーあれね、と軽い相槌を打ちながら、読み流す事にして下さい。

 

 しかし時々、胸に引っ掛かるもの、脳髄を直撃するもの、そんな『かけがえのない』曲は誰にでもあると思います。

 

 小生にとってCoccoはまさにそんなアイコンであり、今日も朝から彼女の歌声に癒やされる訳です。

 

 抱えきれない思い出、両手いっぱいの悲しみ、ずっと昔に嗅いだ匂いや、景色に連れ戻されつつ、そんな歌詞をなぞると、実は言葉が1番凶器になり、思わず発した事、苦し紛れに言われた事、1人悶え苦しむ訳でございます。

 

 そしてまた、

 

 そしてまた、そのいつかの場所へ、ついつい行きたくなったりする訳でございます。

 

 いつか、いつか、ばかりではございますが、いつか彼女の歌声で、ギターを弾いてみたいと思っております。

 

 そんな訳で、思い出の雪道を1枚。


f:id:saiun_sai:20190511012948j:image

 

 

 

水晶とのおもひで

 小生の田舎は鉱物が豊富に採れる、稀有な地層地帯であります。そんな知る人ぞ知る土地柄であります。化石をはじめ、危険な鉱物まで。

 

 幼き頃は、山を分け入って、土と戯れ、地球に眠る素敵な天然の宝石を、日が暮れるまで探し回ったのであります。

 

 時代は流れ、令和となった訳でありますが、昭和が終焉し、平成になった頃には、勝手な入山など言語道断と、罰金の立て札によって、至る山々は入山者を牽制し、そうした楽しみ方も減りつつあった時代であります。

 

 春の山菜狩り、秋の味覚狩り、そうした嗜みに関するモラルの低下も著しく、まぁ当然ちゃあ当然の対策ではあります。

 

 だが小生は、晴れた休日ともなれば、スコップ片手に、公共の一般遊歩道の脇などを散策しながら、目ぼしい地層をちょっと掘ってみるだけでも、細かい水晶石が転がり出てきます。

 

 なぜに六角の見事な結晶になるのか、今の御時世グーグル先生に聞けばすぐ解ることですので、敢えて書きません。

 

 むしろ、どれくらいの年月を掛けて、これほどまでに神秘で魅力的な鉱物へ形成されて行くのか、そこに浪漫を感じる訳であります。土の中での出来事は、誰も解らないのです。むしろ解らないままでいいのです。

 

 買えば済むモノ、インターネットの普及は、検索から購入、配達まで、様々な時間を短縮し、便利で秀逸な世の中を形成致しました。しかしいつ出てくるのかわからない、そんな期待感を胸に、夢中で土と戯れる時間こそ、忘れかけていた最高に贅沢な宝なのであります。

 

 時々そんなスローライフを嗜む小生が、一心不乱に掘り当てた、生涯の宝、見事なクラスターをご拝見ください。

 


f:id:saiun_sai:20190507083329j:image

 

 

山菜刈りと天ぷら

 春と言えば山菜でございます。

 

 小生は先日、田舎の山中を彷徨いながら、脂っぽい中年仲間と犬(熊避け)を連れ、山菜刈りに半日を費やしました。山道脇から林の中を凝視、見つけ次第根こそぎ刈りまくりです。

 

 目当てはコシアブラです。ワラビ、タラの芽、、、そこら中に春の食材が目白押しでございます。しかしコシアブラは以外と知られてはいません。山菜の女王と称される、高級食材であります。採れたてを天ぷらにし、軽く粗塩を振って食するのでありますが、これがまた美味い。

 

 美味すぎるのです。

 春に食する山の幸。

 

 季節のモノを感謝していただく事、それは生体維持にとって最も有用ではないでしょうか。そんな人間味を感じる春の1日でありました。

 

 時に、これらの葉を食べようとした先人たちの勇気に感謝する次第であります。

 

 何故食えると思ったのか謎ではありますが、この絶品は病みつきになります。

 

 仕事に行けば、休憩時間を気にしながら、添加物満載ランチですら、待ち並んで食べる事に、むしろ感謝の暇はありません。

 

 ゆったり、空を仰いで、自らの手でそれらを狩り、調理し、季節の幸をいただく、これほどの至福はございません。


f:id:saiun_sai:20190429080630j:image