彩雲斎の雑記

令和のこどおじ 人畜無害に日和ってくstyle

森と磨崖仏

 小生の故郷には、解っているだけで、磨崖仏が2体あります。

 

『磨崖仏』とは、自然岩を石仏に彫刻したり、線彫りで仏画を刻み描いたりと、様々な仕様がございますが、保存状態はあくまで自然任せのため、もしかしたら風化の一途を辿り、無念に消えてしまったものも、実は各地にあるのだろうと思います。むしろ残っている方が奇跡かもしれない歴史的財産であります。

 

 某日そのうちの1体を探し、参拝して来た訳であります。

 

 山合いの小さな集落。目印の灯籠を抜け、山中の滝を目指す訳であります。

 

 小川沿いに山を分け入って行くのでございますが、この磨崖仏は恐らくこの小川が無ければ、人目に触れる事は無かったのかもしれません。特に滝マニアではありませんので、流れ落ちる様がうんぬん語る事はできませんが、緩やかに遡っていく川も、非常に水がキレイで、見ながら歩くだけでも随分癒やされるのでございます。

 

 小川を遡ること20分程、自然の織りなす見事な造形、折り重なる岩石群の出現により、筆者は行く手を阻まれてしまいました。

 

 つまりこの道の行き止まり。そこには見事な滝が存在しておりました。滝と言えば、崖のような箇所を垂直に流れ落ちるイメージですが、この不動滝は、大きな岩石群の急斜面を、這うように流れ落ちております。

 

 この滝水が一体どこから来るのかも気になる所ではありますが、その滝も含む付近の岩石群の一つに、磨崖仏があり、不動王が刻み描かれていたのであります。

 

 風化も著しいのですが、視点を集中し、うっすらと岩に浮かび上がる岩壁の不動王。その見開いた眼力に、ここへ来た理由を全て見透かされたような気分であります。

 

 静かなる深山に不動の滝と王。これほど信仰気高く、見事なコラボはあるまいか。

 

 ここで一体誰が想いを馳せ、何を悟り、通り抜けて来た集落の安泰を見据えたのだろうか。はたまた何か秘密めいた目印なのだろうか。岩壁に刻まれた不動王を前に、まるで修験者にでもなった気分に點せられたのであります。

 

 無限に流れ落ちる滝水と、瞬き1つしない磨崖仏。

 

 遠くに鳥の声、僅かな獣の気配、微かな虫の足音、冷たく澄んだ空気、そびえ立つ木々の呼吸、厳かすぎる…、

 

 突然狂って叫びたくなる、あの耐え難い衝動とはねじれの位置。もはや太刀打ちできない、息を飲む程の静寂に、小生はいつの間にか囲まれていたのでございます。

 

 外側に発散するのでは無く、静かに受け入れること。無意識に心が単純化され、無思考のまま時間だけがゆっくりと過ぎゆくのでございます。

 

 大自然に屈服し、無思考だからこそ、心に沸き上がる本当のこと。その表裏とはつまり共存。日常の煩わしさとは無縁、無思考の森と、今まさに共存しているのでございます。

 

 何かを語りかけて来る訳でもなく、小生より遥かに大きく、確かにそこに居るのでございます。この山に踏み入れた時からすでに、小生は森に受け入れられていた様でありました。

 

 幾重にも折り重なった山土を踏み締めて、ここまで歩いて来る間もずっと。幾百年も絶えること無く繰り返されるその連鎖は、豊かな土壌となり、また新たな森へと成ってゆきます。

 

 冬に枯れ落ちる事、それは決して枯渇ではない、次の輪廻へと悟りの妙。その輪廻は、日本と言う島国の四季と同期し、時に視界を彩り、冬の終わり、今は静かに春の芽吹きに備えているようであります。

 

 頭と心の中間付近から、慈悲とおぼしき感情が抑えきれず、瞑想?中ずっと新鮮な酸素を呼吸し、代わりに吐き出したものが、また森によって浄化されて行く…ただただ心が軽く、ただただ素晴らしい。

 

 室町時代に彫られたものらしいのですが、とある修験道か、名のある仏師か、そのむやみやたらに目に触れる事のない、山合いの里の秘宝、美しく流麗な滝を見て、瞑想の果てにその不動王を創造したのか、この深い山中の人工物としては、摩訶不思議であります。

 

 風化も激しいため、今のうちに、ぜひ参拝あれ。


f:id:saiun_sai:20190316143709j:image